釈然としなかった。

なんかを思い出すなーと思ったら、
「瞳をすまして」だった。
なにがそうさせるかって、受のキャラクターかなあ。

不幸な(不足のある)現状への取り組み方とか
そういう自分をどう感じてるのかとか
そういう部分の描写への印象が同じで。

あ、「瞳をすまして」はCDしか聞いていないので、
原作については正しく知らないんだけど。

受を純粋ないい子に書こうとしすぎてる感じ?
こっちが感情移入してかわいそうと思う隙を与えず、
「こんなにかわいそうでこんなに満たされなくてでもこんなにいい子で
健気で頑張っているんです。無垢で純粋でいい子でしょ」
みたいななにかが本から迫ってくる感が・・・・・・

そして、それはわかったけどあまり同情はできなくて・・・
こういうのは逆に淡々と描いたほうがいいんじゃないかなーと思ったり。

付き合ってる男の前でべつの男の話して怒られて
やめてくれって言われて反省したのにまたポロッと語って殴られて、
「どうして?おれが悪いの?」
ってそりゃおまえが悪いわ。

もちろんどんな理由があっても暴力が悪いのは当たり前だけど、
周囲の人がそれをそのまま言葉にして
おまえは怒っていい、なんでそんなに全部許してやるんだ
って繰り返し繰り返し言って、
「違うんだよ本当はいい人なんだよ」って受が当て馬を庇って、
「おまえはいい子すぎるよ」
って周囲がはがゆく思って、って、
そのエピソード冒頭で一回くらいやればいいから。
そういうこと言う担当の人はひとりいればいいから。

逆に攻だけがそうやって言ってくれて、
周囲の人は「そういう男を選ぶほうにも問題がある」とか
「殴られるほうにもなにか理由がある」くらいのことを言って、
攻の世界が閉じてくくらいの展開でもよかったんじゃないかとか。

要は「だれから見ても」純粋で優しくて危なっかしい子、
という設定がわたしはいやだったのかなと。


あとなんか結局すべてがうすらぼんやりと終わって
物事がなにひとつ解決していないというか
問いかけっぱなしで答えを見せずに終わったというか。
お母さん!「愛はね、」なんだったんですか!
「それはあなたの心の中に・・・」エンドはネタとしてしか許されませんよ!

こっちのほうはなにを思い出すかっていったら、
種で最終回あたりにラクスさんが滔々と語っていたなんかこう、
「どうして? なぜ?」ばかりの謎の長台詞でした。

結局主人公は特筆するほどの成長はせず
攻のほうもなにも思い切ることはなく
一番なにかを乗り越えてくれたのは受の父と長兄じゃんか。

ともやもやしつつ読み終えたんだけど、
なんていうか、こういう話で普通に「感動した」と言えるほうが
心が豊かな人なのかなーとかいらんことまで考えさせられた。
いちいち穿った見方しかできない自分が歪んでんのか。
こういうのを鼻につくって言っちゃうわたし毒があってカッコイイ
みたいなアレか。


まあドラマCDにするなら
ノンケに定評のある肉村くん×はくちに定評のある潤
でぜひお願いします。


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