なんで驍宗様はあんなに黒いんだろう。
2002年10月2日アニメ十二国記、どうも納得いかないのですが。
更夜出したり魔性の子を絡めたりするのはもう勝手にしてくれていいのだけど、なんか肝心の原作部分がおざなりじゃないですか?
泰麒がとうてつ(字なんかわからん)と対峙してる時に驍宗様が「動けないから助けてくれ」と言ったのも、アニメ版では、本当に動けない人っぽかったし(ヘタレ疑惑浮上で大問題)、泰麒が驍宗様追っかけてくところも、なんか自分が寂しいって感じがうまく出てなかったし(みようによっては容可のため?)、王に選ばれた時の驍宗様はキモかったし(私は思わず「この人王じゃないよ」と呟いた)。
そんでまた来週は、最終回だというのに杉本さんが出てくるんだーっ!
っていうか、短いよ。6話で終わらせるなら、魔性混ぜたりエピソード捏造したり更夜出したり陽子出したりしないで、じっくり原作上下巻だけをやってよ。
○よんだもの
喬林知『きっとマのつく陽が昇る!』(角川書店/02.10)
なんか大変なことに・・・。大変なことに・・・。
コンラッドが大変なことに・・・。
ついでにギュンターも大変なことに・・・。
こうなる日を恐れていたの、私。
人気が出て、シリーズがどんどん続いて、急展開! みたいなのは嫌だったんです・・・。
いや、面白いんだけど。好きなんだけどっ。
高河ゆん『完結版 アーシアン 1』(集英社/02.10)
M師匠も眞紀ちゃんも、口を揃えて「最終巻だけ買う」と言っているのに、私は何故か一巻から買うつもりらしい。だって新書館版は捨てたか売るかしてしまったし。もう、全然覚えていないんだもん。
なのでとても懐かしかったです。ああ、そうだったそうだった、みたいな。
そうだった、私はウリエル様が好きで多紀が好きだった。
それにしても高価・・・。
神葉理世『拘束志願!?』(マガジン・マガジン/02.10)
「ターニングポイント」という短編が入ってるのですが。
読みながら、「あ、なんとなく鳳宍かもv」と思っていたんです。
思っていたら!
受攻逆だった・・・ぎゃふん。
だからぴあすとかこみっくじゅねとかは恐ろしい・・・ぶるぶる。
小松和彦『神隠しと日本人』(角川書店/02.7)
神隠しと庚申信仰にはうるさい私なのでありました。
面白かったです。小松先生の文章は読みやすいから好き。
こういう神隠しのお話がありますよ、という前半部分もよかったのだけど、後半部分の「神隠しの正体を暴く」みたいな部分が面白かった。
要するに、神隠しってのは、日本人的「臭いものに蓋」みたいなモンなんだな、と思いました。迷子の子供も、捨てた子供も売った子供もみんな「神隠しにあった」のです。それ以上追求しちゃいけないの、そういう時代なの。
そうそう、神隠しの話でおもしろいのありましたよ。
つっても、私以外はあと二人にしか面白くないだろうけど。
ええとね、1349年、雲景という山伏が、老山伏に誘われて、愛宕山の見物に行くのです。折角だから愛宕山の秘所も見せてあげますと言われてついていくと、そこにはたくさんの人がいます。武士だの僧だの鳶だの。雲景が「これはなんの集りですか」と老山伏に訊ねると、
「(前略)左の座には淡路の廃帝、井上皇后、後鳥羽院、後醍醐院。いずれも帝位につきながら悲運の前世を送ったがために、悪魔王の棟梁になられた賢い帝たちであらせられる。」
と教えてくれるのです。
そんでこの話自体は、この後突然火が出て、びっくりして逃げたらなんとなく夢から覚めたような心地になって、気付いたら昔内裏があった柿の木の下にいた、という風に終わる神隠しの一例なのですが。
後鳥羽が! 悪魔王の棟梁!!
笑える。すごい笑える。悪魔で王で(悪で魔王でも可)棟梁ですよ、おふたり!?
変換間違いじゃないですよ? 「頭領」じゃなくて「棟梁」って書いてあるんです。
もう、私の頭の中では、ごとごとは鹿乃しうこ絵ですよ。鳶職ですよ。そんで悪魔王ですよ。
電車で読んでて吹き出しそうになりました。思わず折り目つけちゃったもん。
更夜出したり魔性の子を絡めたりするのはもう勝手にしてくれていいのだけど、なんか肝心の原作部分がおざなりじゃないですか?
泰麒がとうてつ(字なんかわからん)と対峙してる時に驍宗様が「動けないから助けてくれ」と言ったのも、アニメ版では、本当に動けない人っぽかったし(ヘタレ疑惑浮上で大問題)、泰麒が驍宗様追っかけてくところも、なんか自分が寂しいって感じがうまく出てなかったし(みようによっては容可のため?)、王に選ばれた時の驍宗様はキモかったし(私は思わず「この人王じゃないよ」と呟いた)。
そんでまた来週は、最終回だというのに杉本さんが出てくるんだーっ!
っていうか、短いよ。6話で終わらせるなら、魔性混ぜたりエピソード捏造したり更夜出したり陽子出したりしないで、じっくり原作上下巻だけをやってよ。
○よんだもの
喬林知『きっとマのつく陽が昇る!』(角川書店/02.10)
なんか大変なことに・・・。大変なことに・・・。
コンラッドが大変なことに・・・。
ついでにギュンターも大変なことに・・・。
こうなる日を恐れていたの、私。
人気が出て、シリーズがどんどん続いて、急展開! みたいなのは嫌だったんです・・・。
いや、面白いんだけど。好きなんだけどっ。
高河ゆん『完結版 アーシアン 1』(集英社/02.10)
M師匠も眞紀ちゃんも、口を揃えて「最終巻だけ買う」と言っているのに、私は何故か一巻から買うつもりらしい。だって新書館版は捨てたか売るかしてしまったし。もう、全然覚えていないんだもん。
なのでとても懐かしかったです。ああ、そうだったそうだった、みたいな。
そうだった、私はウリエル様が好きで多紀が好きだった。
それにしても高価・・・。
神葉理世『拘束志願!?』(マガジン・マガジン/02.10)
「ターニングポイント」という短編が入ってるのですが。
読みながら、「あ、なんとなく鳳宍かもv」と思っていたんです。
思っていたら!
受攻逆だった・・・ぎゃふん。
だからぴあすとかこみっくじゅねとかは恐ろしい・・・ぶるぶる。
小松和彦『神隠しと日本人』(角川書店/02.7)
神隠しと庚申信仰にはうるさい私なのでありました。
面白かったです。小松先生の文章は読みやすいから好き。
こういう神隠しのお話がありますよ、という前半部分もよかったのだけど、後半部分の「神隠しの正体を暴く」みたいな部分が面白かった。
要するに、神隠しってのは、日本人的「臭いものに蓋」みたいなモンなんだな、と思いました。迷子の子供も、捨てた子供も売った子供もみんな「神隠しにあった」のです。それ以上追求しちゃいけないの、そういう時代なの。
そうそう、神隠しの話でおもしろいのありましたよ。
つっても、私以外はあと二人にしか面白くないだろうけど。
ええとね、1349年、雲景という山伏が、老山伏に誘われて、愛宕山の見物に行くのです。折角だから愛宕山の秘所も見せてあげますと言われてついていくと、そこにはたくさんの人がいます。武士だの僧だの鳶だの。雲景が「これはなんの集りですか」と老山伏に訊ねると、
「(前略)左の座には淡路の廃帝、井上皇后、後鳥羽院、後醍醐院。いずれも帝位につきながら悲運の前世を送ったがために、悪魔王の棟梁になられた賢い帝たちであらせられる。」
と教えてくれるのです。
そんでこの話自体は、この後突然火が出て、びっくりして逃げたらなんとなく夢から覚めたような心地になって、気付いたら昔内裏があった柿の木の下にいた、という風に終わる神隠しの一例なのですが。
後鳥羽が! 悪魔王の棟梁!!
笑える。すごい笑える。悪魔で王で(悪で魔王でも可)棟梁ですよ、おふたり!?
変換間違いじゃないですよ? 「頭領」じゃなくて「棟梁」って書いてあるんです。
もう、私の頭の中では、ごとごとは鹿乃しうこ絵ですよ。鳶職ですよ。そんで悪魔王ですよ。
電車で読んでて吹き出しそうになりました。思わず折り目つけちゃったもん。
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